最期はどこで?——望むのは自宅、現実は…|あるご夫婦の選択から【管理人日誌】

先日、訪看オハナのHPブログに「ご夫婦で選んだ、最期の場所」というエッセイを書きました。
施設のご夫婦部屋で、寝たきりになっても寄り添い続けた、あるご夫婦の物語。
書き終わって、ふと思ったんです。
「最期の場所」って、どんな選択肢があって、皆さんはどんなふうに考えているんだろう、と。
ちょうど厚生労働省や日本財団の調査データに目を通していたので、今日はそれを少しお裾分けしながら、皆さんに問いかけたいと思います。
目次
「自宅で最期を迎えたい」60% でも実際は17%
データを見ると、いくつかの数字が浮かび上がってきました。
- 約60%の方が「自宅で最期を迎えたい」と希望(日本財団 全国調査)
- でも、実際に自宅で亡くなる方は約17%
- 約66%は病院、約15.5%は介護施設(2023年・年々増加中)
「自宅で」と願いながら、現実には叶わない方が多い——。
訪問看護で20年、ご家族と最期の時間を分かち合ってきた中で、私もこのギャップを何度も目の当たりにしてきました。
なぜ、叶わない?——3つの壁
データと現場の経験を照らし合わせると、こんな壁が見えてきます。
🏠 介護する家族の負担
特に近年、独居の高齢者世帯や老老介護が増えていて、 「副介護者(主に介護する人を支える別の人)」が不在 で在宅継続が難しくなるケースが報告されています。
🌀 急な体調の変化
臨死期の嘔吐や強い痛み——ご家族の不安が大きくなり、結果として救急搬送や入院になることもあります。
💭 家族の死生観のギャップ
日本財団の調査では、こんな結果も。
- 親世代の95.1%が「家族の負担になりたくない」を重視
- 子世代の85.7%は「家族と十分な時間を過ごせること」を重視
似ているようで、向き合っている方向が違う。
このギャップが、最期の選択を難しくしている一つの要因なのかな、と。
「人生会議(ACP)」という、繰り返しの対話
このギャップを埋める鍵として、 「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」、愛称「人生会議」 という取り組みが推進されています。
もしもの時のために、自分が望む医療やケアについて、家族や医療・ケアチームと 何度も話し合う 取り組み。
一度決めて終わりじゃなく、 繰り返し話す のが大切——というのが大事なポイント。
ただ、ACPを「よく知っている」国民はまだ3.3%。
これからの社会全体の課題なんですね。
訪問看護師として、シェアハウス管理人として
私は今、二つの立場に立っています。
ひとつは、訪問看護師として20年。
たくさんのご家族の最期に立ち会ってきました。
もうひとつは、共生型シェアハウス「オハナなおうち」の管理人として、 「家」のかたちを新しく考えている 立場。
施設でもない、病院でもない、自宅でもない——
誰かと支え合いながら、最期まで自分らしくいられる「家」 という選択肢を、私は考えています。
「家族の負担にならない」と
「家族と十分な時間を過ごす」が、
両立できる場所。
それが、共生型シェアハウスでありたいな、と。
皆さんに、問いかけたいこと
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ここからは、 皆さんの声を聞かせていただきたい のです。
❶ あなたは、最期をどんな場所で迎えたいですか?
自宅?施設?病院?それとも別の場所?
❷ ご家族と「最期の話」をしたことはありますか?
話せていない方、どこに難しさを感じていますか?
❸ もし「家じゃないけど、家のような場所」があるとしたら、
どんな場所だと、安心できそうですか?正解はありません。
皆さんお一人おひとりの感覚を、教えていただけたら嬉しいです。
リビングルームのコメント欄から、お気軽にどうぞ。
匿名でも、ふと思ったことだけでも、大丈夫です。
訪問看護師としての20年と、これからのシェアハウス管理人としての歩み。
皆さんの声が、明日の現場と、明日の「家」のかたちを、一緒に作っていく道しるべになります。
参考文献・データ出典
厚生労働省「人生会議」してみませんか
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html
日本財団「人生の最期の迎え方に関する全国調査結果」(2021年)
https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2021/20210329-55543.html
厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/saisyuiryo.html
オハナな縁側から、ひとこと
忙しい毎日、気がつくとあっという間に過ぎていきます。
だから健康で日常を過ごしていると
自分の人生のエンディングに考えが及ばないと思います。
ある日、ふと、
それは年齢だったり、近しい人との別れだったり
自分の足元が気になることがあるかもしれません。
そんな縁起でもない話は考えるもんじゃない、という時代もありました。
しかし、見送ることを経験して感じることは
「死」のことを考えるのは、
「生」のことを考えることと、ほとんど同じだなと思います。
どこで、誰と、どんなふうに最期を迎えたいか。
それは、今をどう生きたいか、ということでもあります。
お茶を入れながら、家族と普段着で話してみる。
そんな時間が、増えたらいいなと思います。

