しあわせ増配中!おうちナースな7DAYS【オハナな管理人日誌weekly】2024.12.18〜12.24

Instagramで投稿中のオハナなおうちの『オハナな管理日誌』のweeklyバージョンです。ダイジェストというより、リライトや加筆をしていることが多いかもです笑。管理人のバイアスが100%かかっておりますが、在宅看護の枝葉としての読みものとして楽しんで頂けたら幸いです。
もし、あと1年で人生が終わるとしたら?
《オハナな管理人日誌 2024.12.18》

人生が終わるときって、いつだと思っていますか?今日かもしれないし、50年後かもしれません。老若男女、貧富や人種の違い、生得性や人間性に関係なく、人生の終わりだけは平等にやってきます。
『もし、あと1年で人生が終わるとしたら?』横浜市めぐみ在宅クリニック院長小澤武俊先生の著書のタイトルです。小澤先生は現役で在宅医療に携わりながら、ユニバーサルホスピスマインドを啓蒙する活動を熱心に取り組んでいる方です。ユニバーサル・ホスピスマインドとは、ホスピスの現場で培われた、苦しみを抱えていても穏やかにいられる心や、苦しむ人との関わり方のことです。エンドオブライフ・ケア協会は、この「ユニバーサル・ホスピスマインド」をベースとしたプログラムを提供し、子どもから大人までが人生のさまざまな場面で穏やかに過ごせる社会を目指しています。誰もが誰にでも実践できる、答えのないこころの問題に向き合える、大人も子どももお互いを認め合い学び合える社会を目指す、自分の弱さや苦しさから自分にとって大切な「支え」の存在に気づくこと、周囲で苦しむ誰かに気づき、相手にとっての「わかってくれる人」になること目的に、学校、地域、企業などに向けて、「折れない心を育てるいのちの授業」などのプログラムを提供しています。私にとっても、看取りの方々から学んだ温かなマインドは、誰かにお裾分けせずにはいられないのです。
あぁ…。
《オハナな管理人日誌 2024.12.19》

タイムマシーンで過去に戻ってあの日に戻れたら、
この世で会える最期の日なんだと知りながら、
対峙できたとしたら、
私は何か違っただろうか。
いつもとちょっと違う意味深な私の態度で
彼女はそんな空気を怪訝そうに感じたかもしれない。
いつもの日々の繰り返しだろうと
それが最期の日だろうと
その時間を愛しみ、誠実にありたい。
そうだなぁ
わたしと彼女と、
その時のその瞬間でしか起こらない
予測不能な化学反応のような奇跡を過ごせたことに、
これまでも仲間と一緒にお手伝いできたことに
まるごと温かく受け入れて下さったことに
感謝を伝えたい。
次の世界で彼女を探して、一番先に伝えたい。
いつか会いにいくので、待っててください。
看護学生さんとのコラボ
《オハナな管理人日誌 2024.12.20》

ご縁があって、市内の看護大学で訪問看護のお話をする機会をいただきました。自分の学生時代はお恥ずかしい限りの思い出しかありませんが、今思えばその頃からやっぱりへ〇タ◯だったかもしれません、笑。
看護学は机上で学ぶ分野に限っても山のようにあります。私の学生時代のカリキュラムを思い起こすと、歴史や概念や法律的なことから始まり、生理学と病理学、基礎看護学等で基礎を固め、それぞれの看護へと展開していく記憶があります。中身は当然日々バージョンアップされているのですが、学問的な体系は変わりようがないですし、看護的対人援助マインドは人間相手ですから基本的には同じです。まずは正常を理解できないと病気の状態はわかりません。生理的な変化と病的な変化、その両方が入り混じっていることももちろんあります。様々なカリキュラムを乗り越え、苦しみながらも知識を備え、いよいよ応用実践として、看護ケアを必要とする患者さんに適切な看護を提供するため、看護計画をたて、介入をどう行うかを考え実行するための活動の看護過程を展開することで、より良い看護を提供する質の担保となり得るのです。一般的な看護師のイメージとは、外来業務をしている場面や入院中の処置をしている姿、もしかしたらキレイな女優さんが演じる幻想的なバイアスもあるのかしら…。知的活動は頭の中ですから、見えませんものね。ともかく今回のコラボは、わたし中のリアルな看護を見つめ直す機会になりました。でも話すのは苦手なんですよ、意外ですか?
がんとエンドオブライフケア
《オハナな管理人日誌 2024.12.21》

健康に恵まれていて病気とは縁遠く過ごすことができますが、そうであっても、エンドオブライフ、いわゆる人生の最終段階は誰にでもやってきます。二十歳の時に自分が歳をとるなんて思いもしなかったように、人生の最終段階に気が付かずに、もしかしたら気が付かないように日々生活している方の方が大多数でしょう。以前に長々と解説させていただいたように、文化的にも死への畏れから忌み嫌う時代もあったので名残りもありますね。
ちょうど先日、自分の学生時代を思い起こしてみて、ここ数十年の私が関わっている範疇であっても医療の変化を実感します。その変化の流れは、今のエンドオブライフケアが重要視されるようになった理由があります。それは癌という疾患の影響と言い切っていいでしょう。日本の死亡原因の1位ががんになったのは1981年です。癌と診断される=死の宣告という時代がありました。それ以来、がんは40年以上にわたって日本人の死因の第1位となっています。2021年の統計によると、日本人の死因の約24.6%ががんによるものでした。4人に1人は癌死ということですね。データ的には高齢化率を調整すると近年はやや減少もしくは横ばいですが、癌の発生には細胞の異分化や老化が関係するので、加齢とは切り離すことはできません。私の周りにも家族を含め、癌と診断された者がちらほらいますね。嬉しくないですが、身近な病気のひとつになっています。この病気との戦いの歴史が新たなケアを生み出すことになったのです。
がん告知とエンドオブライフケア
《オハナな管理人日誌 2024.12.22》
がん告知によって、エンドオブライフ(人生の最終段階)がいきなり目の前にぶら下がることも少なくありません。まずは、日本のがん告知の歴史をひもを解いてみましょうか。非告知から告知への大きな変遷を遂げてきました。
日本で最初の西洋医学的ながん告知は、明治時代の岩倉具視に対して行われました。1883年、お雇い外国人医師のエルウィン・フォン・ベルツが岩倉具視に進行した食道がんであることを告げています。しかし、これはとても例外的なケースでした。長年にわたり、日本では患者にがんを告知することは一般的ではありませんでした。医師は患者の精神的負担を考慮し、がんであることを伝えないことが多かったのです。つい最近まで家族にだけに真実を伝えたり、胃がんを胃潰瘍と嘘の告知をして最期まで真実の告知しないことは患者本人の益であるという考えが主流でした。平成初期(1990年代)日本のがん告知率はわずか15%程度でした。この時期より医療の進歩や患者の権利意識の高まりにより、がん告知の必要性が認識されるようになり、転換期になりました。2000年代に入ると、がん告知は急速に一般化していきました。2007年に厚生労働省が策定した「がん対策推進基本計画」では、がん患者の就労支援や相談支援が重点項目として挙げられ、告知が政策の前提となりました。
がん告知と治療の流れ
《オハナな管理人日誌 2024.12.23》
現在では、インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)の概念が浸透し、がん告知は医師の義務として認識されています。抗がん剤治療や免疫療法の進歩により、がんの告知イコール死の告知ではなくなったことも、この変化を後押ししています。この30年間で、日本のがん告知の在り方は「医師の裁量の範囲」から「義務」へと大きく変化しました。患者の自己決定権を尊重し、治療方針について十分な説明を行うことが、現代のがん医療の基本となっています。治療法が進歩しているとはいえ、進行する病気であることは変わらないので、闘病してがんを打ち負かすことが心の拠り所になるでしょう。がんの性格によって治療方法を決め(手術療法、薬物療法、放射線療法)、標準治療を実施します。現在の日本の癌治療プロトコールでは、治療ラインの数に明確な上限は設定されていません。治療ラインは患者の状態、がんの種類、進行度、そして利用可能な治療法に応じて決定されます。一般的には、ファーストライン(一次治療):初回の抗がん剤治療→セカンドライン(二次治療):一次治療が効果不十分または再発した場合→サードライン(三次治療):二次治療後も効果が不十分な場合と続き、これ以降も、四次治療、五次治療と続く可能性があります。治療ラインの数に制限はなく、患者の状態や新たな治療法の開発状況に応じて、さらなる治療ラインが検討されることがあります。
ベストサポーティブケアとエンドオブライフケア
《オハナな管理人日誌 2024.12.24》
最近のがん治療は外来で期限なく抗がん剤治療が続くこともあり、治療による有害症状や精神的なストレスを抱えながらの終わりなき戦いを続けているケースもあります。また、治療ラインが進むにつれて、一般的に治療効果が低下し、副作用のリスクが高まる傾向があります。そのため、各治療ラインでの治療継続の判断は、患者の全身状態、QOL(生活の質)、そして期待される効果と副作用のバランスを考慮して慎重に行われます。残念ながら治療すること自体がリスクが高いと評価されると、ベストサポーティブケアBSC(Best Supportive Care)がんに対する積極的な治療を行わずに症状緩和の治療に専念するケアにギアチェンジすることを相談します。がんを治すために一心に戦ってきたのですから、奈落の底に叩きつけられたようなショックで、がんの告知以上の苦悩かと想像してもしきれません。
「限られたかけがえのない時間ですので、有意義にお過ごしください」
すでに身体が蝕まれて自由がきかないかもしれません。
医師の言葉が受け入れがたく気持ちが閉じてしまうかもしれません。
どうして私だけこんな辛い目に遭わなくてはいけないの。
・・・。
心の中で嵐が吹き荒れて何も見えない前に進めない、当然のことでしょう。
まとめ
バーチャルシェアハウス オハナなおうちは、みんなの居場所です。今日も楽しい時間をありがとうございました。会えてうれしかったです。いつでも寄ってくださいね。リビングルームにはコメント欄がありますので、何かリアクションしていただけたら励みになります。お気をつけてお帰り下さいね。また、お待ちしてます。