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しあわせ増配中!おうちナースな7DAYS【オハナな管理人日誌weekly】2024.12.11〜12.17

Instagramで投稿中のオハナなおうちの『オハナな管理日誌』のweeklyバージョンです。ダイジェストというより、リライトや加筆をしていることが多いかもです笑。管理人のバイアスが100%かかっておりますが、在宅看護の枝葉としての読みものとして楽しんで頂けたら幸いです。

エンドライフへの旅②

《オハナな管理人日誌 2024.12.11〜12.17》

先週からの続きで、日本のお葬式と文化の変遷による変化についてです。
(引用参考書籍:お葬式 死と慰霊の日本史 新谷尚紀著)

現代の「供養と記念」

現代にも続く「供養と記念」の時代ですが、高度経済成長・少子高齢化の社会の変遷とともにお葬式文化の変化は、時として社会問題としてマスコミに取り沙汰されるので、身近なこととして感じるかもしれません。例えば今でも檀家さんという言葉はお年寄りの口から聞かれることもありますが、その檀家制度は江戸時代の幕藩体制のもと、村落社会における相互扶助の慣行であり、葬儀と営墓の画一化マニュアル化がなされました。そして人口密集地には大規模な集合墓地が形成され、墓石や位牌が主要な装置となり個人として記憶され記念される存在となりました。伝統的な葬儀といえば自宅での葬儀を部落全体で執り行い、それにはスケジュールや装束やお供えなど細かいしきたりが沢山あります。近親者の喪服は死んだ人と同じ白装束を纏うことで死穢(しえ)を他人に感染さないようにという意味合いがありました。死んだ人は親しい人を引っ張っていく、死者と死穢(しえ)は生きている人を死後の世界に連れて行く力があると考えられていたからです。最初に黒の礼服へと変わっていったのは明治時代の伊藤博文の国葬だったのですが、厳密なドレスコードでしたので入り口で羽織袴姿の方は断られたことで混乱を招きました。埋葬となると野辺送りとして、家族や部落の者が葬列を組み担いで墓地へと運び、その際にも死穢を避けるために、お米やお餅を備えたり清めをしたりとその土地の慣行がありました。

前回のお話した伝統的な葬儀は平成になっても執り行っていた地方がある一方で、今では大多数になった葬儀社が請け負う、葬儀の商品化へと移り変わることになりました。結婚式も全く同じで、最初は一部の有力者だけでしたが徐々に一般化し、みんな同じような儀礼がテンプレートとして商品化されることになります。ちょっと脱線してしまいますが、日本の伝統的な結婚式は神前結婚式であるような勘違いをしますが、それは明治や大正時代の一部の上流階級から始まりブームになったスタイルが、戦後の高度成長で庶民の手にも届く様になったものです。実は最近多いパーティー式のウエディングは、場所や招待する対象は違えども、元々の農村で行われていた宴会だけの結婚式へと原点回帰し、レストランウエディングの方が伝統式と言えるのでしょうね。

話は葬儀に戻りますが、葬儀がビジネスになってから一番変化が目立つのは、豪華で華やかな祭壇の登場です。かつては棺が仏壇の前に安置されて、願わくば穏やかな死に顔を望み、死を実感しお別れができるというものでした。最近の祭壇には元気な頃の微笑んでいる写真が飾られていることが多いですし、予めお気に入りの写真を本人が準備することですら驚かなくなっています。

そして「記憶と交流」へ

ずっと長々とお話をしてきたテーマですが、社会の中で生きている我々にとって、穢れ(けがれ)であり怖しいものである『死』という概念と対峙する長い歴史がありました。それがお気づきのように、近年大転換したわけです。故人の記念物というのはタブーでした。それは死者がこの世に執着してしまうと迷って成仏できないと考えられたからです。前述のイザナミノミコトが死神と化した古代神話にあるのが伝統的な日本の死生観や霊魂観だったのです。友人達の別れの言葉を捧げる告別式はごく最近のことです。これまでの僧侶の読経や引導渡しや焼香などの葬式の意味することのひとつは、生前とは違う名前を与えられ、生前の個性は死後に分断されることが大事だったのです。その変化はいつ頃かというと、病院死がスタンダードになった昭和50年過ぎからです。以前は自宅で看取り、最期を迎える方が大多数でした。病院死が増え葬儀屋が介入すると同時に、都市集中化など経済社会に重きが置かれる様になり、以前の村部落や檀家制度が崩壊してきました。それらにより死霊畏怖や死穢忌避の概念が薄くなったと考えられています。

死とは伝統的に肉体から霊魂の遊離とみなされていたのとは異なり、個人の生命の終焉とみなされるようになっている。…恐ろしい存在から個性を持つ親愛なる個人として記憶される存在として変わってきていると考えられている。

引用参考書籍:お葬式 死と慰霊の日本史 新谷尚紀

そんな1万年の歴史を覆すような大変化であっても、自然と社会に流れているということは、私たちが適応力のホモサピエンスである所以かしら…。

IT社会による影響

前回までの「お葬式 死と慰霊の日本史」新谷尚紀著を引用しながらお話しさせていただきましたが、2008年発行の著書でした。今は2024年、そこから16年の時が経ちました。そういえば、ちょうど日本で初のiphoneが発売になった年ですね。

 iPhoneの登場により、日本の携帯電話市場は「ガラケー」全盛時代から本格的なスマートフォン時代へと移行したことで、携帯電話が真の意味で「インターネットマシン」となる歴史的な転換点となった年です。iPhoneの普及により、消費者の日常生活や情報アクセスの方法が大きく変わりました。パソコンよりもiPhoneでインターネットにアクセスする方が快適な時代が到来し、生活様式に革命をもたらし、日本社会に以下のような大きな変化が起こっています。

  1. コミュニケーションの変革:連絡頻度の増加、SNSの普及により、不特定多数とのコミュニケーション携帯が生まれた
  2. 生活時間の変化:睡眠やテレビ視聴、余暇の時間の現象
  3. 情報アクセスの常時化
  4. ネット依存、SNSでのいじめなどが顕在化する社会問題の出現
  5. 映像・音楽・書籍などのデジタル化が進む、消費行動の変化
  6. インターネットの生活必需品化

現代社会の問題点

人と人との間にインターネットが浸み入るようになり、それらが現代社会における地域や家族の問題をさらに複雑にする要因のひとつといえるでしょう。人口構造の変化とコミュニティの衰退、経済活動の変化、家族構造や機能の変化(高齢少子化、単独世帯の増加、子育ての社会化や家族機能の外部化など)、家族関係の課題(家庭内暴力、家庭内の人間関係の問題)などが社会問題として浮き彫りとなりました。特に人間関係に大きな変化が生じたことにより、コミュニケーションの変化や人間関係の希薄化が指摘されています。対面での会話が減少し、SNSやチャットでの交流が増え、人間関係が表面的になりやすくなっていることで、対人感情理解の困難、簡単に関係を断ち切る傾向、狭い人間関係への依存が強まっていると言われています。心理的影響としては孤独感の増加や孤独感の高い人がユーザーとなる傾向から、メンタルヘルスへの影響も指摘されています。そんな現代社会に流されないためには、人とインターネットとの距離感を意識することが大切なことのひとつです。オンラインとオフラインをバランスをとりながら、自分流のカスタマイズが必要です。スマホやネットの好き嫌いなどは置いておいて、いわゆるデジタルネイテブのスキルのひとつとして、お作法を理解しておく必要があると考えます。そんな社会でのエンドオブライフケアへ流れていきましょうか…

無縁社会

無縁社会ってご存知でしょうか?

無縁社会とは、人々の社会的つながりが希薄化し、孤立する人が増加している社会状況のことを言いますが、主な要因としては、

  1. 血縁・地縁の希薄化:家族関係や地域コミュニティとのつながりが弱まっている。
  2. 単身世帯の増加:特に独居高齢者が増えている。
  3. 社会的孤立:人との関わりを持たない、または持てない人が増加している。

無縁社会では、年間約3万2000人が誰にも看取られることなく亡くなり、誰にも偲ばれることなく埋葬されているとされています。これらの死は、社会から孤立した「三人称」的な存在として扱われ、個人の尊厳や人生の価値が十分に認識されないまま終焉されるという問題が提起されています。これまでご紹介してきたお葬式の歴史を古き良き時代と感じるような根底を覆される社会になりつつあります。統計の中には、看取りであろうが自死や孤独死であろうが、病院死や施設死に対して自宅死に含まれてしまいますので、在宅医療を提供している私たちにとっては、在宅死が増えたと単純に喜べない所があります。

三人称の死

人称とは文法用語で、一人称は自分、二人称はあなた、三人称は自分やあなた以外の第三者のことです。
「三人称の死」という直接的な表現は検索結果にありませんが、無縁社会における孤独死や無縁死を指していると考えられます。これは以下のような特徴を持ちます:

1. 孤独死:誰にも看取られることなく一人で亡くなること。
2. 無縁死:身元不明のまま、自治体などによって埋葬されること。
3. 発見の遅れ:死亡してから長期間発見されないケースが多い。

無縁社会では、年間約3万2000人が誰にも看取られることなく亡くなり、誰にも偲ばれることなく埋葬されているとされています。これらの死は、社会から孤立した「三人称」的な存在として扱われ、個人の尊厳や人生の価値が十分に認識されないまま終わってしまうという問題を提起しています。この問題に対処するためには、個人の意識改革や社会システムの見直しが必要とされています。人々が最小限でも他者とのつながりを持ち、互いに支え合える社会を構築することが求められています。

本当に長い長ーい連載でしたが、過去の旅のお話の終点と同時に、ここから未来の旅が始まります。

この未来への提言のひとつが、とも暮らしシェアハウスの原点なのです。

まとめ

バーチャルシェアハウス オハナなおうちは、みんなの居場所です。今日も楽しい時間をありがとうございました。会えてうれしかったです。いつでも寄ってくださいね。リビングルームにはコメント欄がありますので、何かリアクションしていただけたら励みになります。お気をつけてお帰り下さいね。また、お待ちしてます。

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