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オハナな管理人日誌weekly 2024.9.2→9.8

Instagramで投稿中のオハナなおうちの『オハナな管理日誌』のweeklyバージョンです。ダイジェストというより、リライトや加筆をしていることが多いかもです笑。管理人のバイアスが100%かかっておりますが、在宅看護の枝葉としての読みものとして楽しんで頂けたら幸いです。

おうちパワー

《オハナな管理人日誌 2024.9.2》

まだまだ面会制限もある病院が多いですが、病院→在宅へとお迎えする際の準備として、退院前合同カンファレンスが開催されることがあります。コロナ禍の厳しい面会制限が緩まり、やっとポチポチ再開されるようになりました。退院することで療養の場が病院から住まいに移るので、病院のスタッフから在宅のスタッフへとバトンを引き継ぐことが、このカンファレンスの目的のひとつです。病気や検査のこと、介護について、メンタルヘルスやこれからのことの話し合いをしながら、安心して療養できるための準備をします。訪問看護師の雰囲気も感じてもらって、はじめましての緊張がほぐれるとうれしいですね。

そして待ちに待った退院の日、おうちで再会するとキラキラした笑顔で迎え入れてくださいます。不思議なおうちのパワーを感じる瞬間です。それぞれのおうちには、そのかたの役割があります。その役割こそが、大きな『生きる』エネルギーに変換され、かけがえのない時間を満たしてくれるように感じます。一方で、自分らしさ、自分でしかない役割、その人がその人である所以が、病気や老衰によって保てなくなることを辛く感じることがあります。このつらさ(スピリチュアルペイン)が、最期のときに重くのしかかることは少なくありません。ですが、そんなときであっても、ひとすじの光のように『おうち』パワーに救われる経験もしてきました。だからこそ『おうち』に こだわりたいのです。

病院では笑えなかった

《オハナな管理人日誌 2024.9.4》

「病院では笑えなかった。笑ってお腹が痛い。」
無事に退院できたうれしさ、住み慣れた空気の安心感、自然な会話で笑いがでます。ガン治療がBSCとなり、在宅診療・訪問看護での支援が始まりました。医療者以外はあまり聞き慣れない言葉かもしれません。BSC(ベスト・サポーティブ・ケア)とは、がんに対する積極的な治療を行わず、症状緩和や生活の質(QOL)の維持向上を目的としたケアを指します。がん治療で満身創痍となった身体が悲鳴をあげてしまって、全力の治療からギアチェンジし、緩和ケアの濃度が濃くなる局面と言えます。病気の告知、治療方針の変更、体調の変化、今後の不安…。乗り越えても乗り越えても沢山の壁が次々と立ちはだかり、心身ともに疲労困憊されている方も少なくありません。

進行性の癌や難病、老衰など人生の残り時間が限られると嵐のような苦痛に苛まれます。いろんな辛さをトータルペイン(全人的苦痛)と表現することがあります。
トータルペインとは4つの局面があります
①身体的な苦痛
②精神的な苦痛
③社会的苦痛
④スピリチュアルペイン
たとえ嵐の中であったとしても、ご家族や支援者とともに辛さを紐解きながら、かけがえのない時間をおだやかに過ごして頂きたいと願います。そんな温かい空気が安心できる居場所に広がるとお腹が痛いくらいに笑うことができるのだと思うのです。

人生の最期はどこで過ごしたいですか?

《オハナな管理人日誌 2024.9.5〜9.6》

日本では、約8割の方が病院で亡くなる一方で、2017年度の厚生労働省の調査 (※注1)によると、約8割が人生の最期を迎えたい場所として自宅を望むという、理想と現実との乖離があからさまとなりました。これから本格的な高齢多死社会が到来し、多くの人が、自分が望む人生の最期を迎えるためにはどうしたらいいのでしょうか?その糸口を探るため、 2021年日本財団「人生の最期の迎え方」に関する意識調査を実施しています。

【調査結果】対象者:67歳~ 81歳の方(当事者)と35歳 ~59歳の高齢の親を持つ方(子世代)
▶死期が迫っているとわかったときに人生の最期を迎えたい場所は?
当事者は58.8%が「自宅」次いで33.9%が「医療施設」理由は、
「自分らしくいられる」「住み慣れているから」   
絶対に避けたい場所は、42.1%が「子の家」、34.4%が「介護施設」     
▶人生の最期をどこで迎えたいかを考える際に重視することは?     
当事者は95.1%が「家族の負担にならないこと」である一方、子世代は85.7%が 「(親が)家族等との十分な時間を過ごせること」と回答し、親子の考えにギャップがありました。

2021年日本財団「人生の最期の迎え方」に関する意識調査

現場の肌感としても、前回の調査と大差ないと感じがします。最近は介護者がお仕事をしながらお世話をするケースが増えています。生活スタイルの変化はあるものの、後悔をしたくないという苦渋の思いが伝わってきます。社会的な制度には限界があるし、高齢化社会だから仕方ないとは思えない自分がいます。だから、このシェアハウスの準備をはじめました。自宅みたいな最期まで過ごせる居場所で、家族のような とも暮らしをできるシェアハウスは、多くの人が望んでいる自宅と入りたくない施設との隙間産業になるのではという社会的実験なのです。

まずはバーチャルなシェアハウスで想いを募らせ、リアルな世界に生えるシェアハウスに成長できることを信じています。そもそもシェアハウスにしたいのは、深イイわけがあります。家族のように ともに暮らし、日々を生ききり、日常の中で逝く、それがシェアハウスの役割となり、このアンケート結果から見えた難題へのチャレンジなのです。

家で最期を過ごした人はこの世にはいませんが、ありがたいことに私にはこれまでお手伝いをさせていただいた方々からの学びがあります。100人100通りですが、まずは、私の日々の経験から、これからの過ごし方というのはどんな暮らしなのかをお話したいと思いますので、改めて人生の最期はどこで過ごしたいのか、一緒に考えてみませんか?

人生最期の日はどのようにやってくるのでしょうか?

《オハナな管理人日誌 2024.9.7》

3500人以上の方々を看取ってきたホスピス医 小澤竹俊先生著書のコラムで、とてもわかりやすくお話されています。

人の最期の瞬間とは、草花がゆっくりと枯れて、最後は土に還っていくようにとても静かなものです。

まず、歩ける距離が短くなり、布団で過ごす時間が長くなってきます。

次に食事量が減っていき、昼間でも寝ている時間のほうが長くなっていきます。そして死が間近に迫ってくると、呼吸が浅くなって回数も減り、意識のない状態が長く続いたのちに、ひっそりと息を引き取ります。

人それぞれ個性が違うように、亡くなり方も一人ひとり異なります。全員が穏やかな死を迎えられるわけではなく、残念ながら、不慮の死を遂げられる方もいます。しかし多くの場合は、肉体が死に向けて、きちんと準備を整えてくれます。ねむるように赤ん坊に戻っていくのです。本当に人の死とは静かで穏やかなものです。最後を迎えられた方には、「いつもお疲れ様でした」と心から思います。

(引用先:もしあと1年で人生が終わるとしたら?/小澤竹俊)

私の経験の中でも、ドラマのように亡くなる直前まで話ができる方はほとんどいらっしゃいません。そして、旅立つ日や時はご本人が決めているんだろうなぁ〜と感じます。健康で元気なあなたは、他の世界の話に思えるかもしれません。しかし人は旅立つときが100%やってきます、100%ですよ。私のことでもありますし、あなたのことでもあるのです。

これまでは最期について言及を避けてきた文化が根強くあったことで、全人的苦痛を当事者に背負わせてしまっていたことに気づくことが難しかったのでしょう。医療や核家族化の進行により生活の中から生老病死が切り取られ、超高齢化多死時代の到来によって、全人的苦痛を感じている方やそのご家族が増えてきているといえます。実際に、現在進行形の方もいらっしゃるのではありませんか?

これまでの調査などでの最期の場所をどうするか以前に、どんなふうに旅立っていくのか、それにはどんなことが必要なのか、何がたいへんで何がよいことなのか、どんな支援を望むことがよいのか…具体的にわかっている方はかなりの少数派ではないでしょうか。デス・エデュケーション死の教育についてと話を広げます。

デス・エデュケーションとは?

《オハナな管理人日誌 2024.9.8》

9/6は「死への準備教育(デス・エデュケーション)」を提唱した元上智大学名誉教授アルフォンス・デーケン先生の命日でした。

【だれにでも等しく訪れる「死」という現実。これに向き合い、積極的に受け入れることで、よき「生」につなげる。】

「死生学(タナトロジー)」を日本に初めて紹介し、「死への準備教育」の普及につとめられました。とてもユーモアにあふれる人柄がインタビュー記事からも随所にみられ、さすがにお会いしたことはありませんが、そのお話だけで素敵な方であることがわかります。タブー視されていた死についての教育の目的とは、すなわち一人ひとりに死について考えてもらうことにあります。それが決してネガティブ(否定的・消極的)な行為ではなく、むしろ、よりよく生きるための教育だということです。「死」と向き合い、最期まで人間らしく生きることを目指すわけですから「デス・エデュケーション」とは、同時に「ライフ・エデュケーション」でもあるのです。よりよく死ぬことは、よりよく生きることであるからです。小澤先生の著書でも全く同じことを仰ってました。デーケン先生の継承活動の第一人者といってもいいではないでしょうか。「死」について考える意義、「死」と向き合うということは、普段潜在化してしまっている限りある時間といのちの尊さに、改めて気付かされます。いままで漠然と送っていた時間を、かけがえのない一度限りの機会としてとらえ直すことで、いまよりもっと一瞬一瞬を大切にして生きることができるようになるからなのです。デーケン先生が旅立たれて4年が過ぎました。日本人の死亡率は100%と変わりません。(そういうユーモアで話をされていたのです)先生は日本のすべての人が「死への準備教育」を受ける必要があると願ってましたが、今、どう言って下さることでしょうね。

まとめ

バーチャルシェアハウス オハナなおうちは、みんなの居場所です。今日も楽しい時間をありがとうございました。会えてうれしかったです。いつでも寄ってくださいね。リビングルームにはコメント欄がありますので、何かリアクションしていただけたら励みになります。お気をつけてお帰り下さいね。また、お待ちしてます。

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