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笑顔を目指すケアが、暮らしの中にある。【オハナな管理人日誌】

研修で、一枚のスライドに手が止まりました。

「苦痛を減らすことだけでなく、本人・周囲・私たちの笑顔を目指す。」

一般社団法人MY wells地域ケア工房代表、緩和医療専門医・指導医の神谷浩平医師の言葉です。

笑顔、という言葉を読んだ瞬間、先日お参り訪問で出会った小さな写真立ての中の笑顔が浮かびました。あの笑顔で、こちらを見ていた彼女のこと。ご主人が「言葉を忘れてしまいそう」とぽつりと言っていたこと。

その記憶と、スライドの言葉が、私の中でつながっていきました。

緩和ケアって、特別な場所にあるものじゃなかった

緩和ケアというと、がん末期の方に行う特別な医療、というイメージを持っている方が多いと思います。私自身、訪問看護師として20年以上働いてきて、どこかそういう感覚とは違う違和感がありました。

訪問看護では普段着のように感じることを、「緩和ケアを受けるほどではないですよね」という世間の言葉との温度差をどう埋めていくことができるのか。それはずっと課題に感じていました。

でもスライドは、その前提をていねいに解体することから始まっていました。緩和ケアは疾患の種類も時期も問わない。がんだけでなく、心不全・認知症・フレイルの方々も、同じように痛みや息苦しさ、だるさ、気持ちの不安定さを抱えている。

長年感じてきたその温度差に、言葉が与えられた気がしました。

専門医が目指す姿と、オハナなおうちが重なった

スライドが示す「これからの緩和ケア」の姿は、こうでした。

苦痛を減らすことだけを目標にするのではなく、本人・周囲・私たちの笑顔を目指すこと。主な症状以外にも目を向けること。生活のエピソードに留意すること。息苦しさ、眠れない、口の渇き——そういう小さな苦痛にも焦点を当てること。

そして、患者・医療者の関係から、おたがいさまの関係へ。

この言葉を読んだとき、また手が止まりました。おたがいさま、という言葉が、オハナなおうちの核心にある言葉だったから。専門医が言語化していたことを、私はすでに暮らしの設計として実践しようとしていた。その一致に、びっくりしました。

排泄・睡眠・食事・入浴——当たり前の日常がケアになる

特に重視されていたのは、排泄と睡眠でした。本人だけでなく、周囲も笑顔になるために。人生の物語、日々の活動、食事・入浴などの当たり前の生活への言及を重視する、と。

これって、一緒に住まないと気づけないことだと思いました。

施設でも病院でもなく、暮らしの中にいるから見える。隣の部屋から聞こえる寝息、朝の食欲、トイレに行く回数。その小さな変化に、自然に気づける距離にいること。オハナなおうちで実現したいのは、まさにそういう日常です。

おたがいさまの関係が、人生を支える

医療者として出会いつつ、患者・医療者の関係からおたがいさまの関係へ。

支援する側とされる側が決まっていない関係性の中に、幸せの化学反応が起きる。私がずっとそう思ってきたことを、緩和ケアの専門医が同じ言葉で語っていた。

目の前の人がつらそうだから、何とかしたい。そのシンプルな感覚と行動が、これからのケアの出発点だと言っていました。

オハナなおうちが育てたいのは、その感覚が自然に流れる暮らしです。

オハナな縁側から、ひとこと

先日のご主人の言葉と、研修で出会った言葉が、私の中でつながっています。「言葉を忘れてしまいそう」という寂しさに寄り添えること。排泄も睡眠も食事も、当たり前の日常を一緒に生きること。おたがいさまで、人生と共にあること。

緩和ケアという言葉をこえて、自然な関わりの中で誰もが人として尊重される時間が流れますように——その言葉が、オハナなおうちの目指す場所と重なって見えました。

制度が変わっても、暮らしの中のおたがいさまは、そう簡単には変わりません。

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